仕事においても、日々のコロナ関連のニュースにおいてもムカつくことが多すぎなので、以前に書いていたものをこのブログで公開することにした。
以下は数ヶ月前に書いていた文書である。
2020年の夏、わたしは家族旅行で北海道から東京へ出かけ、帰宅後2週間の休職をさせられた。
わたしや家族がコロナに感染したわけでもなく、濃厚接触者として認定されたわけでもない。
ただ、東京に出かけたからというだけである。
まず前提として、我が家は夫婦と子ども3人の5人家族であるが、世間一般の5人家族の平均世帯年収よりも遥かに年収は低い。
嫁は普通に契約社員として昼間の仕事をしているが、わたしは24時間365日のシフト制の仕事をすることで深夜手当てやらなんやらを得てなんとか人並みの収入を確保していた。
前年2019年に夫婦二人だけで初めて東京へ出掛け、大都会に感動し、子どもたちも連れて行ってあげたいとなんとか金を用意して2020年1月早々に4月の家族旅行を予約した。
当時長男が高校3年生、長女が高校1年生、次男が中学1年生ということと家計の事情もあり、一家揃って飛行機に乗って出かける旅行はこれが最初で最後になりそうであった。
しかし、旅行を予約をしてから間もなく「新型コロナ」なる未知のウイルスが猛威を奮い始めた。
海外からの観光客が激減し、当然のように北海道の冬のイベントも来場者が激減、わたしの住む市は観光が主産業だったため街を突然暗い影が覆い始める。
マスクが入手しづらくなったり、札幌への往来を自粛しろとなったり、職場でも色々制限がかかり世間全体がギスギスしてきていた。
当然、旅行なんて以ての外という空気が漂い始め、我が家も泣く泣く4月の旅行の予定を7月に延期することにした。
当初は未知のウイルスということもあり、西浦某やらなんやらの話を真に受けてビビりまくっていたが、自分で調べていくうちに「?」と思うようになり、「そこまでビビる必要のないウイルスなんじゃないの?」とわたしは考えるようになっていた。
職場でもそのように話をしてみるも周囲は、「それでも万が一があってはいけない!」と安全寄りに寄りまくった考えの人ばかりであった。
年齢層の高い職場であるため、そのような空気になっても仕方ないのではあるが、その割に上司は旅行に出かけていたし、4人以上で集まって温泉旅館で徹マンをしている同僚たちもいた。
そんなに感染を気にするのであれば、その頃は既に人口比でいくと東京並みの感染率になっていたのだが…。
わたしの東京旅行が近付いてくると「こいつマジで東京に行くつもりか?」という無言の圧力が漂ってきていた。
わたしはといえば、「旅行キャンセルしたら誰か次からかかるキャンセル料金払ってくれるのかよ?もう2度とないかもしれない家族旅行という機会損失の代償を誰か払ってくれるのかよ?大体お前らだって道内とはいえ旅行に行ってたじゃねえか!行く先が違うだけだろ!」と内心からの思念を滲ませることで、その圧力に対抗していた。
旅行に合わせてわたしは休みを取っていたが、旅行から帰ってきてすぐに働くのは嫌だったので有給を使って余裕を持った休みにしていた。
確か元々旅行から帰ってきた日から2日は休みになるようにしていたと思う。
そこへ上司から「東京へ旅行に行くなら、帰ってきてからさらに2〜3日は有給を取って欲しい」と言われた。
わたしの仕事の性質上、有給を使うと給料が激減する仕組みになっているので、これ以上の有給取得は家計がとても苦しくなってしまう。
(そもそも有給使ったら給料が激減する仕組みがどうなんだと思うが。)
しかし、周囲の目もあるし、自分が危険なウイルスを持ち帰って職場の脅威になるかもしれないという負い目もあったので了承することにした。
これで胸を張って、もう二度とないであろう家族旅行を楽しめるのなら致し方あるまい。
(さらに冗談のつもりだったのだと思うが、「東京に着いたらホテルから一切外に出るな」とも言われた。大きなお世話である。)
この頃、北海道では「東京はヤバい。ウイルスが蔓延している。道外からの人間は北海道に来ないで欲しい。」という空気がウイルスよりも蔓延していた。
それどころか「市や町村を跨いでの移動はしないで欲しい。」というような狂った空気が蔓延していた。
わたしの仕事、市を跨がないと出勤できないんですけど…。
あまりの無言の圧力に本来楽しいはずの家族旅行も、出発直前は「本当に行っていいのだろうか?」と重いものになっていた。
旅行当日、24時間の仕事を終えて早朝に帰宅したわたしは、仮眠を取ることもなくシャワーを浴びてすぐに家族と共に空港へ向けて出発した。
出発さえしてしまえば、家族を覆っていた重い空気もなくなりこれからの旅行にみんな胸を躍らせていた。
大都会が好きな割に人混みは苦手なわたしだが、今なら浅草とかもゆったりと歩けるかもしれない。
長女は以前アド街で見た浅草の中古の着物屋さんに行くのを楽しみにしていた。
長男は楽器屋巡りを楽しみにしていたし、次男は秋葉原のレトロゲームショップとかに連れて行けば喜ぶだろう。
嫁はゆりかもめに乗るのを楽しみにしていたし、家族みんな本当に東京に着くのを楽しみに楽しみにしていた。
しかし、出発ゲート付近には「こんな時期に旅行なんぞに出かける不謹慎者たち」の画を撮りたいマスコミのカメラが多数待ち構えていたのである。
わたしも記者に声を掛けられたが、当然無視して通り過ぎた。
「不謹慎者としてテレビに映ってしまったのではないか?」と思うと、さっきまでの楽しい気分が台無しである。
JALの飛行機に搭乗し、座席についた。
この頃はまだマスクが入手しづらいのもあってか、そこまで厳格にマスクの着用は求められていなかったと思う。
実際マスクを着用していない人も見受けられたし、それを注意されていることもなかった。
もっとギスギスした機内を想像していたわたしには嬉しい誤算だった。
飛行機に乗る機会がほとんどない我々一家は無邪気に、しかし静かに小声ではしゃいだ。
羽田空港に降り立った我が一家。
ここで、我々の感染対策の徹底っぷりを書いておくと、家族全員マスク着用はもちろんのこと、空港のゲートや駅の改札通過や電車の乗り降りの度に持参していたアルコールで手指を消毒していた。
さらに言うと吊り革や手すりなどに手を触れる度にも消毒をしていた。
今となっては馬鹿馬鹿しいが、アルコールジェル、スプレータイプのアルコール、除菌シートなどなど大量の消毒、除菌グッズを買い込み一人一つ以上常に持ち歩いていたのである。
しかし、そんな我々は羽田からモノレールで浜松町へ移動し街に出てみて驚いた。
ほとんどの人が我々一家のように消毒しまくっていたりはしないのである。
「ウイルスが蔓延していて一歩足を踏み込めば感染する魔都東京」のようなイメージを植え付けられていたため、ガスマスクをして歩いている人がいてもおかしくないとさえ想像していたので大層拍子抜けした。
でもそりゃあそうなのである。
東京には普通に人が住んでいて普通に働き普通に生活しているのだから。
東京の街を歩き、東京の人々の姿を見て当初戸惑っていたわたしも、いつしか「別に普段通りで良いじゃないか」と思うようになった。
日頃から経済の中心で働いて日本を支えている人たちを指差して、「北海道には来ないで欲しい」などと心ないことを言う人たちには怒りすら覚えた。
お台場でマスクをせずに「ガハハ」とやっている若者たちに「おい!マスクしろよ!」と思ったりもしたが、今さらではあるが申し訳なさすら感じている。
あの若者たちは今まで通りの日常を楽しんでいただけなのだから。
流石にマスクをせずに咳をしまくっているような人たちには警戒したが、それ以外は普通に2度とないであろう3泊4日の家族旅行を楽しんだ。
帰りの空港では、地元の少年野球チームにも遭遇したりして「なんだ、みんな黙っているだけで東京に来てるじゃん」と思ったりもした。
帰宅して翌日、嫁と二人で家にいると電話が鳴った。
会社からであった。
「あのー、申し訳ないんですけど、もう4日休みを延長してもらっても良いですか?」
「えー?なんで?」
「いやー、〇〇さん(上司)からそうしてもらえって言われちゃって…」
「仕方ないから良いですけど、もちろん有給ですよね?」
「はい、それはもちろんです。」
というわけで休みが延長してしまったのである。
前述の通り、有給を使うだけで給料が激減するので我が家の家計は緊急事態宣言である。
致し方ないので、わたしは自分のコレクションを某フリマサイトで売って急場を凌ぐことにした。
ムカついたので、休み中は札幌で行われていた次男が好きな漫画の展示イベントに出かけてみたりした。
このイベントにはたくさんの人が来ていて、買いたかった会場限定のまんじゅうは目の前で完売してしまった。
お前ら出かけるのは不謹慎とか言いながらめちゃくちゃ出かけてるじゃねえかと…。
そうこうしているうちにある日また会社からの電話。
前回の電話とほぼ同じ内容で、また休みが延長…。
それで合計ほぼ2週間の強制休みとなったのである。
子どもたちには、
「パパ、大人なのに夏休みできちゃったー。」
などと笑って言っていたが、家計のほうは本当に大ピンチ。
休むことを拒否したら「未知のウイルスの脅威なのに協力しない非国民」扱いでクビにされてもおかしくないので、逆らうこともできない。
さらにコレクションを売り払い、貯金を崩してなんとか凌いだ。
結果的にはなんとかなったが、その時のわたしは生活が破綻してしまうのではないかと気が気ではなかった。
収入が激減しても住宅ローンなどの支払いは基本的に待ってくれないのである。
(前述の通りわずかではあるが貯金もあるが、それは主に子どもたちの進学のためのお金である。)
誤解のないように言っておくと、仕事はわたしに合っていると思うし普段は職場に対してもそこまで強い不満もない。(給料もっとくれとは大いに思うし細かいことはあるが。)
人間関係もたぶん良好、同僚や上司も基本的には善人である。
しかし、「よくわからない」新型コロナウイルスというものに対して必要以上に怯え、警戒する世間の空気にみんなが忖度しまくり、「別に大丈夫だと思うけどな」とほとんどの人が思いつつも安全寄りに合わせておこうという空気が形成され、さらに「intoshさんなら言えばわかってもらえるから」ということで「東京に出かけただけで2週間の休み強制」という悲劇が起きたのだ。
実際、普段から周囲が物申しにくい雰囲気の方がその後に新規感染者増えまくり中だった土地に旅行に行っても休みの強制もなんのお咎めもなかった…。
(「intoshさんは強制休みだったのにね」と陰口は言われていたが。)
普段いい人でいると損するばかりではないかと思ったが、いい人を貫き通して口をつぐむことにした。
(最近ただいい人でいるのはやめることにしたけどね)
誰にも悪意がなく、空気に忖度しただけの証拠としてその後「東京に行っただけでなぜか2週間休まされた男」として職場では笑いの種になっている。
わたしも今となっては笑い話にしているが、
「強制休みなのに個人の有給を死ぬほど使わされたことは未だに納得していませんからね!」
と上司には事あるごとに言い続けている。
そして、元々東京の街が大好きということと、北海道での「東京はウイルス蔓延でヤバいから東京人来るな!」というあの時の排他的な空気に心底嫌気が差して、子どもたちが自立したら首都圏に移住したいねと、嫁と話している日々である。
(これを書いていた2021年7月もそのような空気が残っていたし、市外の人間お断りという信じられない店もあった。)
そして2021年8月に入りまたしても札幌に蔓延防止なんちゃらが出て、酒類の提供が原則禁止となった…。
一体なんなんだ?意味あるのか?と思いつつ、ヤフコメなんかを見るとやはり「道外からの人間は来させるな!」というような意見が多く辟易としてしまう。
ちなみにその頃隣の市では蔓延防止なんちゃらは出ていなかったので、20時以降は札幌から夜のラーメン難民が某ラーメン店に押し寄せて大変なことになっていた。
と、以上がわたしが数ヶ月前に綴っていた文です。
2020年に東京に行く気持ちを後押ししてくれた中川淳一郎さん、永江一石さん、短パン社長さんには(勝手にですが)とてもとても感謝しています。
ちなみに東京旅行後も我々一家はコロナに感染したり、濃厚接触者になったりもしていません。
なんだったら2021年も夫婦でだけ東京に行きましたが、やはり何にも感染しませんでした。
ちゃんちゃん。